diary

バロック詩の情報。

(R指定男子向け) テオフィル・ド・ヴィオー

風刺詩

公爵よ、貴君はお元気ですか?
君はどのように人生を過ごしていますか?
もし君が今日しなかったならば、
これらの詩で君は(あれを)したい気になるだろう。

君は陽気ですかね? 元気はつらつですかね?
君は病いが治癒しているのを気づいていますかね?
この c..llon は非常にデカいのですかね?
君は小便をする時に痛みを感じますかね?

私は、君のごとく放蕩にこれほどまでに夢中になっている
青年をこれまで一度として見たことがありませんでした。
でもそんな君が私は大好きですよ。
かかろうとしないいかれてしまった牝驢馬よ!

君の精神は、そんなに強靭でもそんなに申し分ないわけでもないので、
自然の流れに従って、
売春窟の代わりに、
墳墓のことを長々と弁ずるだろうね。

しかし君の精神は、かくも冷静な沈思黙考の中で夢想するのに
一体何をそんなに利用するのだろうか、
神がわれらにしなやかな神経とぴんと引き締まった膣を
保持することを望まれている限り?



賭博場の世話婆さんたちよ、われらがこのように
怯える(おもらしする)のをからかっているのですか!
ふぐりのジュース(小水)が雨水のように降ってきたら、
あなた方は軒下に雨宿りするのでしょうね。



(井田三夫訳)

(R指定) クロード・ル・プチ

🦫姦淫する十四行詩


【関西風拙訳】

ケツを掘れ *1, お○こを犯せ
お○こする天国と地獄、
お○こする悪魔といかづち、
お○こするルーブルとモンフォーコン。

お○こする伽藍とバルコニー、
お○こする平和と戦争、
お○こする炎、お○こするガラス、
お○こする水神とヘリコン。

お○こする召使いと主人、
お○こする司祭と修道士、
お○こする腐れち○ぽと外道お○こ。

お○こする、みぃんな一緒に、
お○こする本と読者、
お○こする十四行詩、自分どう思う ? *2




「美神たちの淫売宿」より

🐔滑稽なパリ


俺の靴、 俺の靴下、俺の外套、俺の襟首、俺の手袋、俺の帽子、
何から何まで同じ色に染め上げる。
こんな姿を眺めると
俺だか糞だか分かりゃしない。




【蛇足】 👇こっちの方が下品。

フランス語は素晴らしい、特に罵倒語が。『のーんででゅーでぷりてんぼーどでゅめゆでゅさろぷりこなるどきゅいでためーるしーず』…シルクでケツを拭く気分だ。


────「マトリックス リローデッド」

*1:当時、肛門性交は死罪

*2:最後の三行詩は、メタ詩になってる

(下品注意)クロード・ル・プチ④

(拙訳)

パリのソウガム

此所こそが、埃塵溜め !
泥色に染まる都。
読者諸賢をして満足さしめる為、
書き記さん !
堊臭放つ、汚物の精錡水(えりくせる)
卑劣で邪道な亡者の剣
堊魔(ぢゃぼ)の暗黑色の拭き残し
窒息させに地上に現れたのだ。

(Via https://fr.m.wikisource.org/wiki/La_Chronique_scandaleuse_ou_Paris_ridicule)


【蛇足】「アンジェリク」でクロード・ル・プチを演じた俳優・描写:

 左からジャン=ルイ・トランティニャン、マンガ版(木原敏江)、汝鳥伶(月組)、未沙のえる(花組)

アンドレア・ペルッチ③

まるで17 世紀のナポリの群衆が周りにいるかのようで、私は涙を流しながら観劇していた。(ベネデット・クローチェ、1888年)

羊飼いの歌

「羊飼いの歌」(La cantata dei pastori) は、聖夜のナポリで演じられる音楽劇の中でも、今日では上演が珍しくなった作品で、聖母マリアとヨセフの神秘劇に、コメディア・デラルテのキャラクター、古代の伝説(ベファーナ・クリスマスの魔女) 、福音書の外典をブレンドしている。プロットは、多種多様な悪魔が共謀してイエスの誕生を阻止するため、落とし穴を掘ったりして暗躍し、書記官ラズッロはその真中で翻弄される。マリアとヨセフ、大天使と悪魔、飢えたラズッロは老いた羊飼いのアルメッツィオと狩人の息子のシドニオと幼い息子ベニーノ、漁師のラスチェッロなど、それぞれと関わりあう。タランテッラ、ビラネッラ *1、パストラッレ *2 が奏でられる。 

洞窟の向うにある山の頂上で、羊飼い・アルメンツィオの息子ベニーノは干し草の上で眠り、悲劇で目を覚ます。プレセーペ *3 が消えてしまったのだ。
ベニーノは、罪の山頂から救いのふもとまで下る夢を見ている。ベニーノの羊が7頭 (奇数)なのはバビロンの悪徳を表す。アルメンツィオは12頭の羊 (年の瀬12 月、人生の終わりを表す)。2人は旧年と新年、ベニーノの目覚めは通過儀礼とクリスチャンのクリスマスを象徴する。(プレセーペの数はスモルフィア・ナポレターナ *4 の72「驚き」とも関連)


〽️悪運よ、お前は頑固者だ
わたしに立ちはだかり
そこまで無慈悲なのか、叫ぶしかない
わたしの求めるのは、気分爽快
お前の求めるのは、死屍累々
美しいひとよ、黄金の珠よ
幼い鳩よ、かわいらしい精霊よ
わたしの許を去らないで…

ラズッロのナポリ語の方言は、韻を踏んだ連作文にもなっており、ラズッロが最初に登場した瞬間から、ベニーノが不思議そうに彼に、この世界の住人か否か聞くと、実は彼はかつて「パレポーレ」と呼ばれ、今ではナポリと呼ばれている別の世界から来たのだ、と答える。ナポリ気質は、その豊富な滑稽さを劇にもたらした。

さらにこの劇は、クリスマスの物語がメロドラマに似ていることを指摘する。コメディア・デラルテの主流であるコメディー、一方では宗教ドラマ。悪魔やドラゴン、素朴な庶民の誇張されたおちゃらけぶりが笑いを誘う。ラズッロを見て笑ったあとで、マリアとヨセフの旅に純粋に宗教的な気分を取り戻そうとするのは難しい。 
しかし、ラズッロとキリストの間には、不可思議な、ほとんど神秘的な相似関係がある。キリストの生誕地の舞台上の道化師ラズッロは、人類愛のための愚者としてのキリストのイメージを想起させる。その中での喜劇的統一と豊穣、そして新たな社会秩序を謳歌する場面は、この劇のフィナーレでしか表現できない。

初期のクリスマスのお祝いに、異教のエネルギーが満ちていたことを示唆する。

*1:軽い世俗的なボーカル音楽。最初ナポリに現れ、マドリガルにも影響を与えた

*2:羊飼いの音楽を模した曲

*3:キリスト降誕の場面をミニチュア模型などで再現したもの

*4: https://smonapo.wiki.fc2.com/ に詳しい

フィリッポ・スグルッテンディオ

(従業員 2 名+α による訳)

罠に掛かったねずみと、男を比べてみれば


可愛いネズ公、おまえと私は愚にも同じ運命のようで、しかも破滅ときている:
匂いにおびき寄せられてチーズに突進するおまえ
私のチーズでありパンであるケッカ*1に突進する私
キューキュー金切り声を上げるおまえ、ため息と痛苦の叫びをあげる私

罠の金属に牙を当てるおまえ、自分の指を噛む私
猫が犬に追われたように身を踊らせるおまえと私
囚われの身のおまえ、心の自由を失くした私

おまえの小さな胸は高鳴り、私の心は張り裂ける
おまえには死が待ち構え、私には末まで望みがない
おまえは恐怖でいっぱい、私は苦悩で満たされる

つまづいたのは同じ: 美味しいチーズ一切れで、おまえはたった一度の命を失い
愛しいケッカは、一度ならず何百回も
私に辛酸を嘗めさせ続けるのだ

18世紀のナポリ 音楽と民謡

18世紀のナポリ 音楽と民謡

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*1:ケッカ Cecca = フランチェスカ Francesca の愛称 Checca の、古ナポリ訛り ?

ティエルス・アン・ターユ

パイプオルガンの技法で、バロック時代のフランスだけで広く愛好されたスタイル。ソリストと協奏曲という両極的な旨味を同時に味わえる。*1。 近年は有名ブランドのショーのコンセプトにも採用されており「フランスらしい」のかも。

*1:主オルガンの右手とペダルを伴奏に、ポジティフの Tierce を含む Cornet 相当の組み合わせを左手で弾くという類を見ないスタイルは、音楽に詳しい友人によるとピアノの「タールベルクの3本の手」に近いのでは、とのこと

ジャンバッティスタ・マリーノ⑰パリモード

(従業員2 名による訳)

スコトゥス宛のビュルレスク(パリの習慣の皮肉と自虐)

神よ! このおろかでたわけた服装の
全裸よりおめでたい姿をご覧になったら
しばし御笑いが止らないでしょう。
まず、上着の腹の部分の先端が
出っ張りを潜って、お尻の境目になります。
割れ目(ブリーチ)の直径、幅、深さは
ユークリッドにより割出されるでしょう。
逆子(ブリーチ)の痕跡を見つけるには
鶉の猟犬が必要、
副長官を派遣して
ナポリの牧師に捜索してもらう必要もある。
そして、4 本の二重紐でぐるぐる巻きにして下さい。
そうすれば、もし何かの不幸により
下痢(カカレラ) の怒りで私が飛び出す前に
カラブリア*1 の先達が
先に逃げ道を進めます。

 

*1:イタリア半島の、ブーツの爪先にあたる、マリーノの祖先がいた村

ジャンバッティスタ・マリーノ⑯

(拙訳)

マドリガル「ニンフ、苺食む」

愛らしい口で、その時
わが手から「あ~ん」と食みし、猛烈に魅力的な存在よ。
あなたは苺を与えられていた
草の生えた土手に座っている間。
おお、可愛いフローラ。
近くに良い場所を見つけた。
緑の日陰の膝に座っていた。
われは眼を奪われながら
心の中でこの言葉を贈った。
「おお口よ、私の熱情の最高の原因よ。
そなたはなんと繊細な食べ物に似て
その口に運ぶものでそなたそのものを楽しませてくれるのか !
そなたの甘い息は苺の香り。
苺がそなたの愛のキスに香りをつける。
苺がそなたの愛しい唇を彩る」

(Via https://www.jstor.org/stable/10.1525/jm.2004.21.2.175 )

ジャンバッティスタ・マリーノ⑮獄中の手紙

(拙訳)
お気の毒な詩をひり出す気にもなれません。


娼婦たちは、精霊にでもならなければ、この洞窟の尖塔も、鉄の隙間も通れない。だから私は活動的なことより、思索的なことに喜びを感じ、この哲学的な思索の深さを通して私をメナルカ、メナンデル、メネラウス、メナリプスと一緒にしなければならないのです。
(当時は手淫が「メナルシ」と呼ばれてたと知れば、学識豊かにこれらのギリシャ人たちを羅列した真意がわかろう)

私は詩人だ。
さあ、ソネットを一編作ってあげよう。
真のソネット、そは銭が音なり。


(金がないと、囚人は看守から最低限の生活用品すら手に入らなかった。「1ペニーで地獄に落ちる時代」と正反対)


(中略)私が宿泊しているのは、取り壊されて解体された部屋で、風車の最初の怒りにさらされています(神の思し召し)。ですが北風に吹かれても、自分の体が平らになってしまうことがなければ、圧迫感を感じることはありません。エデンの園のアダムのように。壁一面には、石炭や木炭やグロテスクな物でできた、なんて美しいタペストリー!それと鳥やベル付きのシューター。

(悪名高きトリノの独房は暗くて、カビ臭く不健康で、煤と落書きで黒ずんでいる)


惨劇により、トイレのないこの部屋にいることになった。[…]真に艱難辛苦:穴がないためピニャータの中に畏敬の念を持たず小便し、吐く息はアラブの匂いが鼻に届かないよう、タイルで覆っている。


飢餓と、歯の凍結。
聖母をしかと抱きしめるため
食料を集める事はできなかった。
急いで書きたい事が山ほどあるのに
インクは硬く乾いて白い。
濡れた紙に、進まないペン。
痛風の苦しみ、脇腹の痛さ
全ての上に虚無がのしかかっているようだ。
不眠に疲労。

ジョアン・マリアという者の物語を語ろう。彼はユダヤ人として生まれ、ラバ飼いで、僧侶でもあった。主人であり、仲介者であり、スパイだった。もっと褒められる技芸に身をゆだねるため警官になり、最後は処刑人になった。呪われた魂を逃がすために。
(遣り手の囚人の描写)


ついに神の思召しで彼は来る。
そして、暗い空洞の洞穴を震わせる。
3つの喉を持つケルベロスのように吠え。

よこしまな時間に叩く者は、何という悪魔だろう。
躾けられてない者、泥棒の相乗り。
君達のために1時間も眠れない


(看守を呼ぶのに大声を出さないといけないという話)


嗄れ、垂れ、痩せこけ、乾いてる。
髭や髪も手入れされてない。
山羊だったら、毛むくじゃらだ。


(ヤギbeccoは侮辱語でもある。詩人は自分をグロテスクな乞食として描くことを厭わなかった。ベッドを背負い、手淫に耽り、何よりも深い悩みを抱えている)


星に向かって拳を握り、教会と鐘楼を否定せよ

(所長の腹立たしい発言)


敵に迫害され、友人に裏切られ、主人に落胆され、何の役に立てるのか ?私は称賛に値するか ?卑しい人間に偉大さを期待できるか ?悔い改めたウィットのある人と、死にかけた精神のある人とでは? 苦味しか感じない人が、甘い文体を持てるか ?牢獄の闇の中に身を置く者から、詩的な光の明快さを得られるとでも ?


怠けてたら、覚えてる人はいなくなる。
どんな手段を使っても、面倒と思われる。
祈っても聞いてもらえない。
書いたことは、黙示録に記される。


(囚人のジレンマ:書かなければすぐ外部から忘れ去られるが、仲介者にエンジェルになってもらうと、その活動が仇となる)

(Via https://journals.openedition.org/ccrh/3363?lang=en )


【蛇足】




ジャン=バティスト・シャシニェ⑪ + ゲバラ

(拙訳)

幼少期は不毛の花に過ぎない。
青春とは、虚栄心の塊のようなものだ。
壮年期は、退屈と徒労。
老いは、悲しみ、悔俊、痛み。

私たちのゲームは不愉快で、喜びは悲惨だ。
財宝の様に映る、苦悩と悩みを抱えている。
湖、牢獄、鎖の様な私たちの自由。
安らぎは違和感、笑いは涙をはらむ。

ある時代から別の時代に移るという事は、交換だ。
小さな悪からより大きな悪への。
その結果、誰もいない場所に追いやられる。

人生は、さ迷う海のよう
流れが流れを追い、波が波を押しやり、
死の天国の終わりに立ち上がる。

【蛇足】カトリーヌ・グリースは、シャシニェの代表作「生の軽蔑と死の慰め」に影響を与えたフランス語版「王侯の日時計」の44の抜粋リストを発表している。
シャシニェとゲバラに通底するのは、生の儚さへの関心であり「生の軽蔑」でより技巧的に洗練され、深まった趣がある(グロさの面でも)。
アントニオ・デ・ゲバラ「王侯の日時計」は👇


http://www.filosofia.org/cla/gue/guerp.htm

ジャンバッティスタ・マリーノ⑬ナイチンゲールの美

「アドニス」より

しかしこのうえなくしとやかに歌い優美に羽ばたく
どんな美しく雅な小鳥たちにもまして
森のセイレーンであるナイチンゲールは
そのほっそりとした震える吐息をもらして、
翼をもった群れたちの師匠と見えるように
凝った様式を生み出していく。
自らの歌を千もの様式に変奏し
ひとつの舌(言語)を千もの舌(言語)に変えていく。

 音楽の奇跡を聴くことは、ああなんという驚異であることか、
それはたしかに聴こえるが、かろうじて聴き分けられるのは、
いまは声を打ち切り、いまは再び始め、
いまは止め、いまはよじり、いまは弱め、いまはあふれさせ、
いまはおごそかにささやき、いまは研ぎ澄まし、
いまはいくつもの甘美なもつれをひろびろと連ね、
そしてつねに、まき散らそうが、まとめようが、
同じメロディーでつないではほどく。

 ああなんと愛らしい詩句を、なんと慈愛のこもった詩句を
すこしみだらなこの歌い手は創り口述することか。


(中略)

口のなかとからだのあらゆる内部に
速い車輪か速い旋風をもっているかのようである。
回転し振動するその舌は
練達の残忍な使い手の剣のようである。
落ち着いた音律のなかでその声を
折り曲げ波打たせたり、つるして平衡をとるならば、
さまざまに装飾されたその歌をたくさんの仕方で
ほどく天使と、あなたはこれを呼ぶだろう。

 こんなに小さな生き物がこんなに多くの
力を受け入れられるなどと、
こんなに大きな甘美さを一個の鳴り響く原子が
その血管や骨のなかに隠せるなどとだれが思うことだろう。
あるいはわずかなそよ風でも動かされる
羽の生えた声、飛翔する音以外のなにか別のものだなどと。
羽をまとった生きた息、
歌う翼、翼を持った歌以外の。
(小林実 訳)

で、「偽ディオニュシオス」って何よ?

なぜ「偽」かというと… 新約聖書に一行だけ登場するディオニュシオス(アレオパゴスの裁判官デオヌシオ)とは別の、5世紀のディオニュシオスが書いた本だったのが、長い間混同されていたので、区別をつけるために「偽」とつけた。
日本語Wiki充実。

ディオニュシオス文書群は『天上位階論』、『教会位階論』、『神名論』、『神秘神学』の4つの著作および10通の『書簡集』から成っている。

『天上位階論』に語られるところによれば、天使の位階には3つの階級(父、子、聖霊に対応)があり、ひとつの階級に3つの段階がある。つまり天使の世界には合計9つの位階が存在する。

『教会位階論』によれば、教会の位階も天使の世界と同じく3つの階級とそのなかの3つ、合計9つの位階で構成される。その具体的な内容は、最も神に近い第一の階級が典礼…その中の第一が香油(附膏、堅信)

クロード・オピルが詩のなかで「三位一体」の理解を諦め、代わりに慈しむのも、この文書群に照らされたからかも…さらに

  • 「暗黒(γνόφος)」という語は、東西のキリスト教神秘思想に共通する「闇」のイメージの源で
  • そこから「神との合一」に進む者を「無に属する者となる」と称し
  • 闇の神聖視はギリシア教父らも共有

…とのことで、これもオピルの詩、スュランの思想*1と通じる。


邦訳は
【蛇足】オピルは鉛色の空のたのしさや「星の井戸」を連想させる。

ジャン=バティスト・シャシニェ②人生の船乗りたち

凪は何度も長いこと船乗り達を
海に引き止める、逆に思うまま吹く風は、
しばしば予定より早く
まだ嵐が来ていない港へ船乗り達を運んでゆく。

(中略)

死の港で自由に生きるためには、
誰もが自分の最も若い時期にたどり着くところへ
一度は確実に着かなければならないが、

波と岩の危険の数々の中で
予定より早く航海を終えてしまった
すぐれた腕前の船頭たち以上に嘆くべきではない。

(久保みゆき訳)


↑ ロヨラ・メリーランド大学の演劇科と映像学部のコラボで製作された、コマ撮り動画出てくるバロック・オペラ舞台。