diary

バロック詩の情報。

ジャン・ド・スポンド②詩あ

(拙訳)

愛の十四行詩集より

もし私も、お前たちのように、愛らしい小鳩よ、
かくも美しい羽をこの身につけていたなら、
たとえ私の魂が、
百の新たな鎖、その屈することなき鉄に繋ぎ留められていようとも、

私は風の翼にわが翼を乗せ、
私の宝の隠されている住まいまで飛んでゆくだろう。
そうして、この胸の苦しみがすべて取り去られるなら、
もはやこのつらい別離を感じることもあるまい。

ああ、小鳩たちよ。
私はどれほど願ったことか、
この身がお前たちほど軽やかであり、
そして恋するこの魂がお前たちの魂に似ることを。

だが、それはただ願うばかり、
その願いゆえに私は思い違いをしている。
たとえ世界がすべてお前たちの翼で満たされていたとしても、
これほど変わることのない愛を飛ばすことなど、果たしてできようか。


【蛇足】「愛の十四行詩集」は英訳があるが、バロック詩的な論理展開は抜け落ちて、エモくなった翻案といったほうが正確。

シャシニェ⑦ぐろぐろ

死は、殺戮と恐怖に染まった仮面をかぶり、
私たちの目に恐ろしい姿で現れる。
だが我々が恐れているのは、本当の「死」ではない。
その歪みきった顔、仮面の方なのだ。
私たちの魂は、その巨大な仮面に震え上がり、
死を実体としてではなく、
やつれ果て、骨張り、醜悪な化け物として想像する。
壁に描かれた死人の像のように、
白く干からびたその骸を見て怯えている。ならば、
死の肌に触れ、臓腑を探れ。
眼を見開き、死の本性を直視するのだ。



主よ、あなたがこの私から顔を背けるなら、
私はいったいどうすればよいか?
世に誉れ高き者すら、
墓の冷たき沈黙のなかで腐り、喰われていくのに。
今の私は、まるで剥き出しの解剖標本だ。
心臓は静まり返り、口は二度と笑わず、
頭蓋に髪はなく、骨はぐったりと崩れ落ち、
眼窩はくぼみ、鼻は氷のように冷え、
顔は死人のように灰色に染まっている。



ひとりの男が、十字架に吊るされていた。
汚れ、血まみれ、打ち砕かれ、ねじれ、
あまりの無惨さに、人の形すら判別できない。
[…]
その皮膚は裂け、骨と癒着し、
腹は背骨にまで引きつけられていた。
腸も内臓もすでになく、
茨の棘がその頭蓋を貫き、
脳髄の奥まで突き刺さっていた。

 

マルブフ⑦孤独

…ああ、われらが虚栄の束の間の歓びよ!
おまえたちのあとには、いくらかでも永遠が続くというのか。
幸福の永遠か、それとも苦しみの永遠か。

おまえのことを思うだけで、わが血脈は干からびる。
わがペンも、わが詩句も、もはや流れ出ることをやめ
舌はしびれ、私は言葉を発することすらできなくなる。

(略)

人間の感覚で思い描けるかぎりのあらゆる世紀、
幾億、幾兆という歳月を積み重ねたとしても、
永遠の時計に刻もうとするならば、
それらは一分の、ほんのわずかな欠片にすらならぬ…

(Via https://www.bonjourpoesie.fr/lesgrandsclassiques/poemes/pierre_de_marbeuf/le_solitaire )

サン=タマン③蜜蜂は涙を飲む

蜜蜂は、涙を飲むために
愛する巣を出て
野に撒かれた花々の
魂を吸いに行く。
彼は更に、かわいい蝶について語る。
蝶は、百合の使者となり
薔薇にそっと接吻を運ぶ。

ラセペド⑦場所の構成

「定理」は、数学ぽい書名と裏腹に、象徴的イメージの輝きが目を惹く。
たとえば「白長調の交響曲」と呼ばれるソネットがある。

白いのは、年齢なき偉大なる父の衣、
白いのは、その白き館に仕える廷臣たち、
白いのは、その霊のきらめく羽衣、
白いのは、その小羊の輝かしい羊毛。


「赤のソネット」の結びは次のようである。

おおキリストよ、おお聖なる小羊よ、どうか隠してください、
私のあらゆる赤き罪を──深淵の小枝のようなそれらを──
あなたの肉の衣の、血に濡れたひだの中に。


さらに最も印象的なのは「夜のソネット」である。

凍てつく極地の永遠の夜も、
キンメリア人の夜の濃い闇も、
ファラオの夜の、手で触れるほどの恐怖も、
おおユダヤ人、お前達の夜には及び得ない。
(略)
おお深き夜、黒き夜、諸夜の王よ。

👆これはユダヤ人とユダの裏切りによって世界が陥った形而上学的な夜であり、中世の天文学者サクロボスコのものした『De spherae mundi』を下敷きにしている。(ラセペドは反ユダヤの立場であった)


「永遠の夜」とは、そこでは空気が極めて濃密で曇っており、太陽の光線が極めて弱いため、光線が消費しうる量よりもはるかに多くの水蒸気を発生させるからである。こうして空気を晴れさせることはできないため、そこには昼など存在しないと言ってもよい。(サクロボスコ『球体論』第3章)


【蛇足】「場所の構成 (場面を心に具体的に組み立てる黙想法)」 composition de lieu とは…聖書 の出来事を、ただ意味として考えるのではなく、具体的な場所・光景・音・身体感覚を伴う場面として心の中に組み立て、その場に自分を置くように黙想する技法の事。(おなじ瞑想でも、14世紀英国の「不可知の雲」とは方向性がだいぶ違う)
ジャン=クロード・カリエールは、イグナチオ・デ・ロヨラ「霊操」における「場所の構成」を、西洋において唯一、東洋の仏教や中国の黙想・呼吸法の技法と比べうる瞑想法として紹介しており、ラセペドは「場所の構成」の善き使い手であると語った。

マルブフ⑥虹

太陽の光線は、ふくらんだ雲の面に
鋭く差し込み、雲は気まぐれに薔薇色を帯びて、
まもなく私たちの前にイリス(虹)のアーチを
その湾曲した光で、地平に描き出すだろう。

ああ、もう姿を見せた、天上の訪れは、
空をまだらに染めつつ、いくつもの環を生み、
太陽の前に、その誕生のエナメルを
露わにする──太陽がその光線を投げて形づくったものを。

虹は半円だけを帯のように描き、
その円の半ばを私たちの目から隠す。
さまざまな彩りをまぜ合わせるその筆致は、
蒼、紫、金をもって天をエナメル化する。

貞潔な小鳩たちの黄金の首も、
太陽に向かいその色を変えるが、
それでもなお、虹の色こそよりいっそう美しく、
私たちの目を喜ばせる鳩の艶より勝っている。

さあ、身をおおおう場所へ行こう、というのも
水の女王の使者たるこの虹は、
ほどなくその円弧の湿り気が涙を浄めて
私たちの上へ雨を注ぐことを知らせに来るのだから。

太陽は雲に向かってその顔を向け、
美しい天の弓を架けてその天蓋をつくる。
イエスは太陽、世界は雲、
恩寵は光線、そして聖母がイリス。

(Via https://www.bonjourpoesie.fr/lesgrandsclassiques/Poemes/pierre_de_marbeuf/liris )


【蛇足】あっ、外を物売りが通る…

🦩Regordonas que se acaba,hermosas como recíen casada.
(採れたてで真ん丸だよ、新婚みたいにピカピカだよ)

🦤你們快點來玩戲吧! 玩甚麼? 當然是巴洛克神話悟空了! 玩兒了嗎 ?

シャシニェ⑥建て倒れ

たった少しのあいだ、この世に生きるだけなのに、
なぜそんなにも立派な家を建てようとするのか?
その大きさは、まるで天の蒼穹を突き上げるかのようだ。

カインが最初に地上に都市を築いたが、
その試みはすぐさま罰を受け、
彼は天の光、つまり神の恵みを失ってしまった。

もしあなたがこの地上で長く生きるのなら、
立派な家を建てようと苦労するのも理解できる。
けれど、もうすぐ旅立つ身であるあなたが、

なぜそんなに手間をかけて
住むこともない家を建てようとするのだろう?

(Via https://fr.m.wikisource.org/wiki/Le_Mespris_de_la_vie_et_consolation_contre_la_mort/%C2%AB_Pour_un_petit_moment_que_tu_dois_vivre_au_monde_%C2%BB )

オピル④甘い沈黙

(拙訳)

愛の砂漠には甘い沈黙がある。
明け方がこんなに澄んでいたら、何が正午になるんだろう ?


麗しきぼくの魂よ、ロゴスは硝子絵だ、
それ自体の仄めきで、光を見えるものにしてくれる。


【蛇足】バルザック「谷間の百合」と雅歌(旧約)は、タイトルからして類似性がある。どちらも愛を描いて霊的な緊張関係=魂と魂の交錯に至る。ソルボンヌ大のドミニック・ミエ=ジェラールはゼミでこの2作品をオピルの霊歌、クローデルの頌歌と比較して読み込んだ。何と面白そうすぎな🌹⚜️

マリーノ⑤市場の愛

雪像のアフロディーテ

雪でできた愛、
他人には冷たい氷に見えるだろうが、
私は氷ではない、燃え盛る炎だ。
氷と呼ばれるべきなのは、
愛を感じない女。
むしろ氷なのは、あなたたちのほうだ、愚か者たち、
あの美しい双眼の太陽の下、焼かれ溶けていくのだから。

砂糖の貴婦人

誰がそんなことを言ったのだ、恋人たちよ、
「愛は苦く、悩みと涙に満ちている」と?
それを信じる者は愚かだ。
それを見抜けぬ者は盲目だ。
愛がどれほど甘美なものか、見ればわかるだろう。
信じないのなら、妾を味わってみるがいい、
他人の愚かな言葉を鵜呑みにしている者共。
妾は甘さそのものなのだから。

蝋に刻まれた恋人

私は願うが、許されない、
美しく(エスプレッソ)作られた蝋の仮の顔から
空しい口づけを奪い、
自分自身を騙すことすら。
もし、不幸にも大胆に
自らの唇を彼女の唇に近づけたとしても、
その蝋像は吐息の火を、
優しくも柔らかくも感じてはくれない。
私は何を恐れている? 全く愚かな。
蝋でできているのに(ああ、悲しい事に)、
かの女は私には、石像よりも冷やかで冷酷。


【蛇足】この時代は古典の神々が急速に商品化され、価値観が揺らぐ不安があった。すぐ溶けてなくなる素材なのは、それもある。

マリーノ④ライプニッツ

(拙訳)

17世紀初頭の哲学者・詩人マリーノと、17世紀末の哲学者・詩人ライプニッツの間には、時間的にも地理的にも互いに可逆な位置関係にあり、それぞれ、一時期、第二の祖国として機能したフランスの両側であるイタリアとドイツで生まれた。マリーノは1615年から1623年までパリに住んでいた。ライプニッツは1672年にパリに到着し、1676年末まで滞在した後、ロンドン、オランダを経てハノーファーに定住した。「単子論(モナドロジー)」が出版されたのは1714年でマリーノの「聖講話」からちょうど1世紀後のことである。

ライプニッツがモナドに帰している主な性質は、原型的なマリーノの作品世界にもある。後者は至高のモナドであり、ライプニッツが神のイデアを指定するモナドである。

ライプニッツによれば、各存在の内部には無限の連動する存在があり、各個人の不可分の閾値は無限に押し戻される。16世紀末のアルチンボルドや、17世紀初頭のジョバンニ・バッティスタ・ブラチェッリニコラ・ド・ラルメサン2世が、果物や本やバネの集合体からなる不思議な図形を描いたり、彫ったり、彩ったりしたのは、おそらくこのような直観が、まだ黎明期で、いかなる理論化からもかけ離れていたためだろう。

マリーノは「アドニス」の最終オクターヴで、平和をもたらすヴィーナスの庇護のもと、人間と神々の社会(天/地/地獄)の和解が普遍的な平和へ回帰することを喚起した。同じように、ライプニッツは「単子論」の結語で、普遍的な和合、今後すべての霊魂の集まりが神の都市を構成する・つまり現れうる最も完全な君主が、完璧な国家を成すに違いない、と締め括った。

(Via "La scène de l'écriture : Essai sur la poésie philosophique du Cavalier Marin 1569-1625" )


【蛇足】マリーノの伝記作家であるフランチェスコ・ロレダーノは、詩人を「あらゆる石から水銀を作り出す方法を知る、不思議の鍛冶屋」と評した。

【蛇足2】「アドニス」はふらんすへ渡りラ・フォンテーヌに強い影響を与えた。そしてヴィルヌーヴ夫人につながっている。

マルブフ⑤すべての鼻の模範

あなたが口を開き、太陽に
その堂々たる鼻を曝せば
バッカスすらその鼻を惜しむ、
そっくりの鼻をセイレーンに与えた過ちで──
鼻と、あなたがしかと立ち止まり
唇を内側に引き締めれば、
あなたの鼻、すべての鼻の模範は
太陽の影を歯に落とす、
そして時を刻む。

(Via Hutton, James ,1946. The Greek Anthology in France and in the Latin Writers of the Netherlands to the Year 1800. Ithaca: Cornell University Press. p. 456. )

ル・プチ②Ye 4920

呪われた柱、
今、オジロワシの鳴き立てる場と化した。
モンフォーコンよ、おまえのすのこ板に上ると、
苦痛よりも恐怖が強い。

(大矢タカヤス 訳)


【余談】1️⃣ル・プチには「滑稽なウィーン」という詩集もあったらしい。彼は、イエズス会の矯正を拒んで僧侶を刺して海外逃亡しスペイン、イタリア、オーストリア、ボヘミア地域、ドイツ、オランダ、イギリスを漫遊した。さすがに「北のヴェネツィア」サンクトペテルブルクには行かなかったようだ。

2️⃣この詩人が、王室の倫理に刃向かった見せしめとして火刑に処された翌年(1663年)、オランダ・ライデンで「美神たちの淫売宿」が出版された。詩人は原稿のコピーを友人の一人、シルデベック男爵に送っていたのだ。男爵が印刷させた本は、国立図書館に1部だけYe 4920という番号で保管されていた。

だがこの蔵書は、19世紀半ばに何者かの手によって姿を消す。
権力が亡きものにしようとした陰謀が想定される。

しかし、エドゥワ・トリコテルとアルフレッド・ベジという2人の愛書家がそれより前に別々に内容を書き写して保管していた。その2人の筆写をもとに、1910年「美神たちの淫売宿」はフレデリック・ラシェーヴル社から 200 部発行された。

3️⃣末期の言葉は「C’est fini.」(アンジェリク内輪うけ)

ラセペド④乾木とパロディ

(拙訳)

「定理」より

緑木をしてサタンは我らが最初の母を誘拐せしめた:
乾木をしてイエスはサタンのかどわかしに抗った。
緑木は我らが母を地獄に隷属せしめた。
乾木は、母のすべての子らを地獄の炎から救った。 

緑木のサタンはその憤怒が満たされたのを知った:
乾木のイエスは愛が完成したのを知った:
緑木は、すべての生ける魂に死をもたらした:
乾木は(何という驚き !) 死者を蘇らせた。

その日、乾木は緑木に勝利した:
緑木は天界を締め出され、乾木は私たちを
栄光への 開かれた小道へと誘ってくれた。

彼こそはすべてに償われ、すべてに値する者:
このよろこびの乾木こそ、 すべての真実のありか
そして義と安らぎがくちづけを交わすところ。

【蛇足】なぜ緑木より乾木がよいかというと、炎=神とつながるのに、水分=罪はない方がよいから。

で、☝️この作品のパロディを書いてる方を~…のでー、以下に拙訳

彼はすべてを満足させた: 彼はすべてに値する、

この乾木の上で、歓喜は真実に到達する :
そこには正義と平和が睦み合う。
酔っぱらったグラスの中のサタンは、私たちの魂の歓喜を飲みこんだ。
イエスは魔法でグラスを再び満たした: 地獄の美しいグラスは吐瀉物に変わった: しかしそれはブランデー、地獄の効果だ !

サタンは自らの暴力がアルコールによって満たされると思っていた。しかし、イエスは「友よ、お互いを愛せ」とも言った! 素晴らしいガラスは、命の美しさに値しないが、歓びのおせっくす (何という不思議!) は、すべての人に命をもたらした :

その日、良いおせっくすが、すべての変態性に勝利した。しばしば敬虔なタルチュフ *1 、彼の想像上の神は、非常に隠された方法ですでに己をお見透しだ。

精神は穏やかになった。なぜならば、真実、
この歓びのおせっくすこそ、人の神性のありか

そして、聖体拝領と狂気が口づけをかわすところ。

*1:モリエール劇の登場人物で、聖人君子の仮面を被った偽善者

アブラーム・ド・ヴェルメイユ②キスの和音はルール違反

(拙訳)

愛のキスは、音楽のオクターブだ。
だが1つ手にしたあなたは、2つ目を手に入れようとする。
なぜ、愛で和音を奏でるの ?
それはあなたが言う様に、理論への罪を犯す事。

【蛇足】和音のない猫ヲルガン(キルヒャーも言及)

シーア派たちよ!

17 世紀のイランとフランスは、奇妙にも並列して見える──強力で神聖な君主権が確立され、その統治手段として宗教が形式化された点が(反シーア派、国教化、ナント勅令の取消) 。いずれも反- 神秘主義を伴った。フランスの場合だと 17 世紀末、フランソワ・フェヌロンがボシュエとの論戦に敗れ、精神の遺贈すら可能にした神秘主義に歯止めがかかった。イランの場合は1630年ごろからの20年間に、サファヴィー朝のスーフィズム/メシアニズムに反論するシェイヒュルイスラーム*1 であるアル・クミらのエッセー(西欧未紹介)約20 本が発表され、大宰相を含む聖職者の体制は崩壊した。それ以降法学者・神学者たちは、権力に都合の良い合理主義を促すようになった。
フランスにキリスト教神秘主義的なバロック詩人が現れたのと時を同じくして、イランのタレブ・アモリ (1586~ 1627)は多くの神秘詩を書いた。
(拙訳)

「まるで花嫁たち」の髪型のように、
私の人生という糸は、結び目が連なる
それほど頻繁にこの魂の絆は
ほつれ、その度に結わねばならなかった

(Via https://iranicaonline.org/articles/taleb-amoli )

芝生はミントの春に略奪され
あなたの手の花は角よりも鋭利だ。

【蛇足】シャルル・シピエが往時のペルセポリスを描いた版画は眼福。