ジャン・ド・ラセペドの『定理』(1613年、1622年)の冒頭のソネット群では、都市と田園の対立が描かれており、それは作品全体に通底する「罪と救済」の弁証法を反映している。ラセペドはこの対立の焦点として、エルサレムとマウントオリーブの園の強烈な対比を提示する。キリストが迫害され、最終的に裁かれる場としてのエルサレムは、バビロンのような「背徳の飛び地」として描かれ、一方で園は純粋さと静謐な黙想の場として提示される。
(中略)
一般的に、エルサレムとマウントオリーブの対比は、詩人による自然(人間的自然と物理的自然の両方)の表象の出発点として浮かび上がる。人間が築いた構造物である都市エルサレムは、人間の堕落を象徴する隠喩となる。楽園における人類の堕罪と、それが象徴する「自然の喪失(denaturation)」を踏まえ、詩人の目的は、知性と感情の両面において、読者/信心者(dévot)を人間的自然の堕落から神的自然の恩寵へと引き上げる位置に導くことである。【蛇足】ハンス・メムリンクの受難図とラセペドの「定理」の傑出した点は、構想が言葉と不可分なイメージから成る「言説」に、コインの裏と表のように分かちがたく結びついている点である。表には試練に直面するキリストの肖像が刻まれ、裏には唯一無二の現実、すなわちイエスがキリストとなる最後の数時間、そしてペンテコステにおいて聖霊に満たされた後の物語が描かれている。