diary

バロック詩の情報。

イランとフランス、17 世紀概観

17 世紀のイランとフランスは、奇妙にも並列して見える──強力で神聖な君主権が確立され、その統治手段として宗教が形式化された点が(反シーア派、国教化、ナント勅令の取消) 。いずれも反- 神秘主義を伴った。フランスの場合だと 17 世紀末、フランソワ・フェヌロンがボシュエとの論戦に敗れ、精神の遺贈すら可能にした神秘主義に歯止めがかかった。イランの場合は1630年ごろからの20年間に、サファヴィー朝のスーフィズム/メシアニズムに反論するシェイヒュルイスラーム*1 であるアル・クミらのエッセー(西欧未紹介)約20 本が発表され、大宰相を含む聖職者の体制は崩壊した。それ以降法学者・神学者たちは、権力に都合の良い合理主義を促すようになった。
フランスにキリスト教神秘主義的なバロック詩人が現れたのと時を同じくして、イランのタレブ・アモリ (1586~ 1627)は多くの神秘詩を書いた。
(拙訳)

「まるで花嫁たち」の髪型のように、
私の人生という糸は、結び目が連なる
それほど頻繁にこの魂の絆は
ほつれ、その度に結わねばならなかった

(Via https://iranicaonline.org/articles/taleb-amoli )

芝生はミントの春に略奪され
あなたの手の花は角よりも鋭利だ。

【蛇足】ペルセポリス・アパダナの、シャルル・シピエによる復元画。