diary

バロック詩の情報。

ジャンバッティスタ・マリーノ⑬ナイチンゲールの美

「アドニス」より

しかしこのうえなくしとやかに歌い優美に羽ばたく
どんな美しく雅な小鳥たちにもまして
森のセイレーンであるナイチンゲールは
そのほっそりとした震える吐息をもらして、
翼をもった群れたちの師匠と見えるように
凝った様式を生み出していく。
自らの歌を千もの様式に変奏し
ひとつの舌(言語)を千もの舌(言語)に変えていく。

 音楽の奇跡を聴くことは、ああなんという驚異であることか、
それはたしかに聴こえるが、かろうじて聴き分けられるのは、
いまは声を打ち切り、いまは再び始め、
いまは止め、いまはよじり、いまは弱め、いまはあふれさせ、
いまはおごそかにささやき、いまは研ぎ澄まし、
いまはいくつもの甘美なもつれをひろびろと連ね、
そしてつねに、まき散らそうが、まとめようが、
同じメロディーでつないではほどく。

 ああなんと愛らしい詩句を、なんと慈愛のこもった詩句を
すこしみだらなこの歌い手は創り口述することか。


(中略)

口のなかとからだのあらゆる内部に
速い車輪か速い旋風をもっているかのようである。
回転し振動するその舌は
練達の残忍な使い手の剣のようである。
落ち着いた音律のなかでその声を
折り曲げ波打たせたり、つるして平衡をとるならば、
さまざまに装飾されたその歌をたくさんの仕方で
ほどく天使と、あなたはこれを呼ぶだろう。

 こんなに小さな生き物がこんなに多くの
力を受け入れられるなどと、
こんなに大きな甘美さを一個の鳴り響く原子が
その血管や骨のなかに隠せるなどとだれが思うことだろう。
あるいはわずかなそよ風でも動かされる
羽の生えた声、飛翔する音以外のなにか別のものだなどと。
羽をまとった生きた息、
歌う翼、翼を持った歌以外の。
(小林実 訳)

で、「偽ディオニュシオス」って何よ?

なぜ「偽」かというと… 新約聖書に一行だけ登場するディオニュシオス(アレオパゴスの裁判官デオヌシオ)とは別の、5世紀のディオニュシオスが書いた本だったのが、長い間混同されていたので、区別をつけるために「偽」とつけた。
日本語Wiki充実。

ディオニュシオス文書群は『天上位階論』、『教会位階論』、『神名論』、『神秘神学』の4つの著作および10通の『書簡集』から成っている。

『天上位階論』に語られるところによれば、天使の位階には3つの階級(父、子、聖霊に対応)があり、ひとつの階級に3つの段階がある。つまり天使の世界には合計9つの位階が存在する。

『教会位階論』によれば、教会の位階も天使の世界と同じく3つの階級とそのなかの3つ、合計9つの位階で構成される。その具体的な内容は、最も神に近い第一の階級が典礼…その中の第一が香油(附膏、堅信)

クロード・オピルが詩のなかで「三位一体」の理解を諦め、代わりに慈しむのも、この文書群に照らされたからかも…さらに

  • 「暗黒(γνόφος)」という語は、東西のキリスト教神秘思想に共通する「闇」のイメージの源で
  • そこから「神との合一」に進む者を「無に属する者となる」と称し
  • 闇の神聖視はギリシア教父らも共有

…とのことで、これもオピルの詩、スュランの思想*1と通じる。


邦訳は
【蛇足】オピルは鉛色の空のたのしさや、大好きな人を抱きしめながら、夜がどこまでも深く深くなっていけばいいと願った時間を思い出させてくれる。もしくは「星の井戸」。

ジャン=バティスト・シャシニェ②人生の船乗りたち

凪は何度も長いこと船乗り達を
海に引き止める、逆に思うまま吹く風は、
しばしば予定より早く
まだ嵐が来ていない港へ船乗り達を運んでゆく。

(中略)

死の港で自由に生きるためには、
誰もが自分の最も若い時期にたどり着くところへ
一度は確実に着かなければならないが、

波と岩の危険の数々の中で
予定より早く航海を終えてしまった
すぐれた腕前の船頭たち以上に嘆くべきではない。

(久保みゆき訳)


↑ ロヨラ・メリーランド大学の演劇科と映像学部のコラボで製作された、コマ撮り動画出てくるバロック・オペラ舞台。

コティニョン・ド・ラ・シャルネ

(拙訳)

1630 年代のいくつかの戯曲は、バレエの構築方法を採用している。当時のアントレ・ド・バレエは、選ばれた主題のさまざまな側面を体系的に追求するバレエだった。

ピエール・コティニョンの「ボカージュ」では、様々なタイプの恋人たちが次々と登場し、あたかもバレエの様に、対象が属から種へと細分化されていく。

「贅沢な行為にさらされて」気が狂う恋人メリアーク、愛を避けつつ「愛の会話」をしてみたい羊飼いの男女、年老いた恋人たち。フィレニーの愛を勝ち取ろうと魔法を使うソリトリス、嫉妬深い恋人、恋人が他の女の子とキスするのを卑猥と思うエリアンドレ。

二枚舌のアミールと冷酷なネリステルは言う「誰も愛していないし、誰にも愛されたいと望んでいない」。

バレエとの親和性を確認するかの様に「ボカージュ」は「メタモルフォーゼのバレエ」で締めくくられる。印象的なコントラストの彼方へと、道徳的な価値観が変身する。

(Via http://www.personal.utulsa.edu/~john-powell/Music_and_Theater_in_France/1405_001.pdf )

通常の牧歌劇の後にコティニョン・ド・ラ・シャルネの「ボカージュ」を読むのは、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの後にゴヤを見るようなものだ。コミカルな要素とは裏腹に、この戯曲には暗く不吉な雰囲気が漂っており、独特の個性を放っている。
1632年にパリでトゥーサンク・デュ・ブレイにより出版された(略)副題を見れば、この戯曲にいかに多くの素材があり、いかに規則性がないかがわかる: 「シリーヌの決闘、その仲間の決闘、アミールの欲望と策略、メリアルクの奔放さ、エリアンドルの腹黒さ、フィレニーの傲慢さ、ネリスティルの奔放さ、ソリティリスの魅力の消失、その無様な最期とポニローの不名誉」。実際、統一性があるのは『檻』の題名だけで、すべての出来事は森のさまざまな場所で起こる。
いつものサテュロスは、羊飼いの女に欲情するもいつも失敗し、若い羊飼いたちにたびたび殴られる。彼はこの王女を愛妾とし、しばらくの間手中に収めていたが、流浪の騎士ベリブロンに奪われてしまった。ポニロが舞台を降りると、ベリブロンが木のふもとに横たわっている。シリーヌはそう遠くないところに横たわり、どうやって家に帰ろうかと悩んでいる。月が輝いている。「狼が現れ、立ち止まってシリーヌを見つめ、そして去っていく」。彼女は夜明けにポニロがやって来ることを恐れ、自分の名誉を大切に守ってきたこと、それを失うかもしれないという不安、自分を連れ去って結婚してくれる騎士への憧れを声に出して語り始める。騙されたベリブロンは奉仕を申し出、受け入れられる。暑い日中、日陰で立ち止まった二人は、シリーヌのかつての恋人ラリマンに出会う。これが喧嘩のきっかけとなり、羊飼いたちによって引き離されるまで続く。

ラ・ロイ・ド・ラ・シュアレリー
あなたの名誉を守ってください


シリーヌは今、ラリマンの5年間にわたる献身と、ベリブロンの5年間にわたる献身とのどちらを選ぶかを迫られている。
ベリブロンが彼女を救ったという事実。彼女は後者に指輪を渡し、キスをするが、昔の求婚者と共に走り去る。彼女の消息を聞くことはない。
一方、作者が指摘するように、私たちはさまざまなタイプの恋人たちに出会ってきた: メリアークは "元恋人"、エリアンドルは "遊び人"、アミールとネリステルはそれぞれ "人を愛せず、愛さない"。アミールに拒絶されたメリアークは発狂し、シェイクスピアが気の狂った登場人物の口にしかけた歌とは似ても似つかない、奇妙な歌を詠む:

私たちはもっとたくさん獲るでしょう
隣人のきゅうり、彼らのえんどう豆
大きくはないリンゴ、ブドウ
愛する人は隠れている、わたしの方は
良い取引が成立すれるなら浚われたい
約束はすべて守ります
私の腹が立ってさえなければ
私は決して怒りません。


第2幕では、羊飼いと羊飼いの出会いによって面白い状況が生まれる。羊飼いと羊飼いの女。それぞれが相手の企みを疑い、愛を避けている。
尋ねると、羊飼いはこう答えた。

愛について語り合うことはない。


次の場面では、年老いた魔術師ソリトリスがデ・モンスを呼び出し、フィレニーを魔法陣の中に入れ、薔薇の木を茂らせる。薔薇の木が現れると、魔術師はフィレニーに目隠しをさせてから薔薇の木に向かうが、そこへメリアークが入ってきて泣く:

ああ、これはコリン・メイラードの楽しいお芝居ね。
おお、この幼子は老人のように作られているわ。


ソリトリスは彼の笑い声を聞き、フィレニーだと思い、彼に薔薇を贈る。
第3幕では、典型的な牧歌的シーンがあり、サテュロスの身代わりとなったポニ・ロートがアミールを捕まえるが、騙されて木に登り、誰も来ていないことを確認する。彼女は彼の足を木に縛り付けて逃げる。この幕と次の幕には、エリアンドルの嫉妬を示す場面もある。エリアンドルは、自分の恋人が他の娘にキスをするのを下品だと思い、一時は冷淡なネリスティルにさえ嫉妬する。最後に羊飼いたちはポニロに罠を仕掛け、ポニロはアミールによって罠に誘い込まれる。彼は地面に倒れ、空中に引き上げられ、そこで2、3シーン足でぶら下がる。不快な役柄に違いない。羊飼いたちは皆、彼を助けようとしない。ついに魔術師が入ってきた。メリアーク。ポニロは彼の衣を奪う。ポニローは衣を脱ぐと、野生の男は、自分を降ろしてくれるなら衣を返すと約束する。

この一幕だけでも、コメディにする価値がある


という台詞のように、単に言葉の巧みさだけに基づいている:

あなたの優しさ、あなたの魅力、あなたのミリキ、そしてあなたのチャーム


というセリフが、4つの部分とそれに対応するライム行の位置を変えて3回繰り返されるような場合、あるいは、人の性格を突然垣間見るような場合である。スガナレルと同じように、手品師がフィレニーの財布を取り上げるとき。:

もし私が財布を盗るなら、それはただ服従のためだ。


スペクタクルへのこだわりはすでに述べた。要するに、この戯曲には良いところがたくさんあるのだが、秩序と集中力がまったく欠如しているため、そのどれもが生かされないのである。このような牧歌劇こそ、古典的改革の必要性を示している。

(Via https://books.google.co.jp/books?id=U8K1AAAAIAAJ )

ジャン・ド・ラセペド⑥甘い蜜が教会の膿を出す

(拙訳)

「定理」より

ユダヤ人の王が、岩を叩く
その最も強力な杖で水は溢れ出た
民の群が放浪する乾燥した砂漠で
彼が気を失ったのを見た者は 渇きを癒すかもしれない

ロンギヌスはすぐにこの傷を作った
キリストの側で槍が奥深くを突くのを敢行した
その時、より強い風が吹いて来るのが見えた。
終わりのないすべての命をもたらす蜜。

溢れ出るこの貴重な魂の蜜は
この完璧な恋人の動脈から流れる
私たちには食べ物や肉体の欲求がない。

甘い蜜がクリスタルの水をもたらす
その力が教会を満たし
生まれつき溜まった膿を溢れ出させるのだ。


ジャン・ド・スポンド④もし私があなたのように羽毛を着ていたら

(拙訳)

愛の十四行詩集より

もし私があなたのように羽毛を着ていたら、
それを使わずに、重力の法則に逆らって、
腕をはばたかせて、可能性の風に乗って、
高く、遠くへ飛んでいたかもしれない。

まるで童話の中のように、私の守護霊の
住む場所を探して? 彼女は私の願いを叶えてくれる
かもしれない。いつもあなたのそばにいて
尊敬し 慕い 溺愛することを許してくれるかもしれない

しかし、あなたは、鳩の羽根を持つ一人であって、
それは、あなたの魂が飛べる事を示唆する
私の魂をはるかに超えて、だからこそ、あなたを愛しているのです。

地に根ざした鉛たる私は
あなたが羨ましい、だが私の一部もまた、
飛立ち、舞い上り、この哀れな籾(もみ)殻を下に残していくでしょう。




【蛇足】スポンドは人間が狼になった存在はありえるか、という論考で、ハーブを使って心をコントロールできるなら、体もコントロールして物理的に変えられるだろう、と日和った。しかしここからジル・ガルニエは単に幻覚剤を投与されていた…と見ることもできる。

ダンプカーとタコヤキ

この両者の共通点は皆無に等しく、まだしもダンプカーとタコヤキの方がお互いに似通った所がある、と言ってもさしつかえないだろう。(堀敏実「角の店」)

 

⚙️激突サイボーグ犬
⚪もっちりオペラ歌手犬

ダンプカーとタコヤキはどっちも男の肉体 (ひいては、自己イメージとしての犬 ?) を想起させるとこがお互い似通う。

たこやき

たこやき

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ジャン=バティスト・シャシニェ⑩スペインに城を建てる

(拙訳)

貴方はスペインに城を建立し *1
ローマ帝国を併合し、歴史を造る日を熱烈に望む
大勝利、甘美な栄光、いくさ好きのドイツ人をも
打ち破り、ドイツの二大民族を己の法に従えた

だが死は貴方をあざ笑う、氷よりも冷たく卑下する
空想家特有の勇敢な将来設計そのものを
そして知恵の勝者な筈の、不摂生な願いに
死の矢は放たれ、射手は貴方の鮮血を浴びる。

いつの日か貴方はまだ死んでないが、きたる30年には
不完全なスピーチしかできない、
糸は縺れて巻取りと櫛均しは台無し、気づきもしない

それもその筈、謀略家が上院議員へのコネ欲しさに
カエサルに誓約した頃、当のカエサルは
パルティア人に誓約していたから。

*1:「できもしないことを夢想する」の意。中世の騎士はスペインに城を拝領したが、手にいれるため攻略せねばならなかった故事に因む

ジャン=バティスト・シャシニェ⑨滅びたように見えるものは

(拙訳)

滅びに見えるものは、姿が変わっただけだ。
夏は息絶えたか? 翌年取り戻される。
夜は暗さを増し続ける? あとに待つ光は
ふたたび一斉に、紺の蒼穹を照らすだろう :

少しずつ航路を変えて行きながら
晴れやかな太陽は逍遥し、
そして神の決めた秩序に従って、
すべては上昇し、滞りなく降下する :

凍える死に我々はおののく、しかし酷く
魂を損なうことはない、小さな休息なのだ
来るべき日のための。

旅を恐れることはない、
巨人戦の日のモーレツお父さんの様に、
不意に帰る予感に満ち、出かけよう。

ペイレ・ゴドリン

(拙訳)

第二の花のソネット

天国が顔を借りるお方
その御顔は美しい光で刺繍され
その穏やかさはとても優しく
子供の弓にも心から服従する。

村の小さな真珠、ギノレットとリリス
あなたの満足を伝えたい、
ファイフ *1 とオーボエが共鳴し、
足と勇気を、くすぐるだろう。

羊飼いのあなたは、私達を軽蔑する事がない
仔羊の喜びを味わいにおいで
花咲く草原で楽しく躍り跳ねよう。

私たちは 12 月に、凍ったことがない
たのしき気分は、まさに 5 月
千の喜びが、私達の生を冠するように。

(via https://madimado.com/2013/05/15/culture-occitane-peire-godolin )

*1:ピッコロに似た笛。名は「パイプ」に由来する

アントン・マリア・ナルドゥッチ

(拙訳)

婦人の頭なる虱

そなたの山吹の御髪、
そのたゆとう森に、
うつくしき象牙なる獣らの、さ迷うを見ゆ。
否、かの者共はさだめし自然の手による
金糸の生みし宝石ならむ。
やう々々に群なし、貴なる努めに
励むがごとく、そなたは努めるものを
小天使に変え、わが心を捕え
殺める、めでたき網をこそ
金の糸にて織りつらむ。
おお、黄金の葉の間を飛ぶ愛たちよ。
おお宝石よ、金色に波打つ髪の房より生まれし者よ。
おお獣よ、かくのごとき甘美な諧謔を啜る者よ。
汝常しえの誉れを求めるならば、
あの尖りし爪に剛毅の指をもつ者の
餌食となるを拒むこと勿れ…



(Via https://books.google.co.jp/books?id=-fRGUP7S0xMC )


【蛇足】虱は男性の心でもあり、それが獲物である女性から逆に、森の妖精のように捕まえられる… という趣向。

✋✊✌️名匠列伝

ジャン・ド・ラセペド(1550?-1623)

17 世紀のインクリングズ。古代神話をキリスト教で再解釈し「異教のミューズをクリスチャンのミューズに変えた」と、フランソワ・ド・サール (ほぼ同時代に活躍した、作家・記者の守護聖人)をして言わしめた。

1550年頃にマルセイユで生まれる。父はジャン=バプティスト・ド・ラセペド、母はクロード・ド・ボンパール。
大学では法律の博士号を取得した。
彼は、1599年にメルキオン・デ・ファレットからアイガレードの領地を取得した。その結果、彼はアイガレードの聖人として知られるようになった。領土はカルメル会の本拠地であり、ラセペドは彼らの教会の再建に資金を提供した。
カトリックの詩人として、中世フランス語で詩を書いた。プレイヤード派 (七星詩派) として出発し最初の作品である「ダビデの詩の模倣」を発表したのは、1594年のフランス宗教戦争の終わりで、難破をテーマにした瞑想の中で、彼は「魂を捨て、貧しくなったフランス」が安全のために十字架に舵を向け「善良なダビデ」を「この危険な航海の導き手」に例える。詩篇を言い換えたり模倣したりすることは、当時の一般的な取り組みだった。
1613年と22年に、あわせて515のソネットからなる「定理」を出版した。ここでの「定理」とは、「瞑想」を意味し、ソネットは、オリーブ山の夜から、キリストの受難を「瞑想」しながら、叙事詩を紡いで行く。技巧的には、さまざまな押韻を採用し、定期的に句またがりを使用して、終止符の単調さを和らげ、リズムとトーンを変えていった。ゲッセマネの園で祈りを捧げているキリストのひざまずく姿勢を探求するソネットの様な、読むバッハの受難曲、とでも言うべきメロディアスなものもあれば、他の作品では、ハンマーが釘を打つように繰り返し句を使った、10行が「ブラン」または「ブランシュ」で始まる「ましろの十四行詩」と呼ばれるものも含まれている。さらに各ソネットには聖書的・愛国的な情報源、特にトマス・アクィナス*1の「神学大全」に繋がる解説が提供されているという博学ぶりであった。おそらくイグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」に影響を受けたとも考えられている。
彼はエティエンヌ・ド・マンタンの未亡人と結婚した。結婚式は1585年4月30日に行われた。アンジェリークという娘を持った。1611年2月には、アヴィニョンの従者Accurse de Faretの娘であるアンヌ・ド・ファレットと再婚した。マルグリット・ド・ヴァロア (a. k. a. 王妃マルゴ)のバロック文学の拠点となったサロンに参加していた。1623年没。忘れられていたが1915年、アンリ・ブレモンに再発見され、1945年以降研究が進んでいる。


ジャン=バティスト・シャシニェ (1570-1635)

エナルゲイア(ενάργεια)とは「言語を媒介とすることによって、実際には現前しない対象を、聞き手や読み手の眼前にあたかも見ているかのようにすること」これは正にシャシニェの作品の形容にふさわしい言葉だ。

ブザンソンで医者の家に生まれる(父親は共同知事も兼任)。はじめはブザンソンで、後にドール大学で法学を修める。非常に若く詩作に筆を染め、激しい恋愛も体験したが、二十歳のときに悔悛した。1594 年に 434 のソネットとスタンスからなる「生の軽蔑と死の慰め」を発表したが、この詩集には晩年のロンサールの詩篇やモンテーニュに通じる、生は死の仮装というバロック的な死の意識が、激しく、ドラマチックに表現されており、三十年戦争を経た「生の軽蔑」はグリンメルスハウゼン「ジンプリチシムス」と並べて語られることもある。
☺マルク・フマロリによると、シャシニェとオピルの詩は、フランス・バロックの雄弁と修辞のよき使い手として、ジャン=ジョゼフ・スュラン (※ケン・ラッセル「肉体の悪魔」のモデルになったひと) *2 の神秘思想に匹敵する。
☺️『ル・メスプリ(Le Mespris de la vie et consolation contre la mort)』では、音の不在が死を特徴づけている。
☺️後半生はグレーに移り、財政顧問官をつとめ、ダビデの詩篇を翻案した作品などを作った。
☺️20世紀の評論家、サイモン・A・フォスターズとカトリーヌ・グリースは、16 世紀スペインの散文に多大な影響を及ぼした、アントニオ・デ・ゲバラ修史官(1480-1545、後述) による「王侯の日時計 (Reloj de principes)」がシャシニェと深く関わっていると主張し、スペインのフランシスコ会とこの詩人を関連付けた。


クロード・オピル (1580? - 1633?)

オピルは決して特別な天才ではなかった。彼は17世紀初頭の非常に個人的な存在、安心して付き合うことのできる人物である。フランス・バロック詩の時代は、古典のテーマを捨てた壮大なキリスト教詩の時代でもあり、詩人たちはしっかりとした神学的知識を持った、真の神学詩人と呼ぶ事ができる。*3

☻ オピルは「バロック」と「神秘主義」の両方に属しており、アビラのテレサや十字架のヨハネとも並んで引用されている。オピルの作品の面白さは、間違いなく、文章と神学と霊性の間の、この対決ともいうべき出会いにある。精神生活の中で積極的な役割を担う彼にとって、書くことは思索のリレーであり、詩人は繰り出す言葉によって、神への願望を具体化し、流浪の時を探求の時とし、現在から神の賛美に参加するのである。
☻ オピルのインスピレーションは「偽ディオニュシオス」(後述)ら文書群に基く。
☻ 金融業を営む家に生まれ、円熟期の作品の献呈者は、ほとんど全員が代議士に属していることは、文学サロンからも教会的な地位からも開放され、名を残さなかったにもかかわらず、彼がこの世紀の出来事に無関心でなかったことを示している。
☻ ラセペドの『定理』では、オピルにおける天使の模範的な役割は、使徒達に占められている。
☻ オピルは、宗教的なテーマに詩の原理を適用するのではなく、神学的な考察から文章の原理を引き出す。神学や霊性の作品は、作家の詩学の真の源泉を提供し、彼の創造力の多くは、文章の観点から献身的な作品を翻訳し解釈する能力によってもたらされるのである。それは古くからの確かな伝統の一部であることに変わりはない。
☻ オピルは有名な音楽家の宮廷歌謡曲をもじった歌詞を作った。だがリュート伴奏で、サロンで演奏するためのものではない。詩篇141のように、一人で終日歌い続けることを想定していたのだろう。
☻ オピルはシエナの聖カタリナ、ジェノバの聖カタリナ、聖テレジアなどの幻視を記した文書からイメージを盗用している。不死の魂を蝶のイメージになぞらえる、信仰を愛の傷とした矢のイメージなど。
☻ オピルにとって、すべてのキリスト教徒は神の歌い手であること、あるいは神の歌い手となることを求められている。
☻ 彼の手による讃美歌は一曲だけ発見されている。その一番:
(拙訳)

〽️わがたまは なにをかのぞむ
ただまつは てんのわけまえ
こころみち なにもほっさず
もとむもの みかみしる

ピエール・ド・マルブフ (1596-1645)

私の恋心は蜜蜂と同じ、私が花を見つけると、そこに蜜を見つけてくれる

16世紀末には、マルブフの名を冠した2つの家系があった。一つは非常に古い起源をもち、レンヌの議会で何人かの大統領を輩出した (現在のパリ8区にある「マルブフ通り」と、メトロの旧「マルブフ駅」の由来)。われらが詩人は、完全にノルマン起源であり、祖父の代から騎士の称号を得た。孫のピエール・ド・マルブフはノルマンディー州・ルーアンに生まれ、ユメアとサハールの一部の領主だった。
メイン州のラ・フレーシュ大学で学び、 デカルトと同期で、法律を勉強した。
学生時代、エレーヌ(本名かどうかは不明)という女性に激しく恋し、一年で終わったが、尾をひいた。しかし、「愛の奇跡」では詩の中にマドレーヌ、ヴァリアーヌ、シルヴィ、アンヌ、ガブリエル、そしてフィリスが現れる。実在するかは別として、彼女たちは詩人のインスピレーションだった。
モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴの脇には学校と本屋の地区がある。そこのクラモワジー&シャブレで「サヴォワのセレニッシム公ヴィクトル=アメーデと国王の妹マダム・クリスティーヌの幸せな結婚についての詩」(1619年)を出版。サヴォワのヴィクトル=アメーデとアンリ4世の結婚の際に作曲されたこの曲は、マルブフがサヴォワ家から受けた大きな義務に感謝するために作られたものだが、どれがどれなのかは正確にはわかっていない。*4
詩人として華々しくデビューした後、詩人の集まりにも属した。小さなアカデミーは、サント・ジュヌヴィエーヴ(現在のクジャス通り)近くのサンテティエンヌ=デ=グレ通りにある「ピアット・マウコール」と呼ばれる大家の家に集まっていた。
しかし1623年ごろ、わずか2~3年で、グループを離れ、ノルマンディーに引退する。まだ30歳だった。文学的センスを持っていた叔母の喪失に打ちのめされた、という説もある。
しかし、それは結果的に、牧草地や森、水を題材にした詩を書くきっかけとなった。ラ・フォンテーヌに30年ほど先駆けていた。

水を愛する私に岸辺を任せてください
美しい緑の岸辺、美しいセーヌ川、美しい草原、小さな山、野生の森、
私はあなた達に私の詩を与えます。
あなた達の新鮮さをとても愛しています
とても愛しています、その影を
草原や森や優しくそよぐ風を
とても愛しています、あなたの暗い湿気の涼しさを
私の快楽の証人といたします

1627年2月、ノルマンディー議会・参事官の娘マドレーヌ・ド・グルシェと結婚した。彼は妻から多大な苦しみを受けたようで、その名も「ミソジニー」と題した風刺詩を出版して復讐を果たし、彼女が最終的に死んでいるのを見る喜びを爆発させた。(管理人注: そんなこと、やっちゃアカンでしょう…)この詩集はオルフェの神話のパロディで終わる:

あの愚妻が戻ってきて留まりたいというなら、アイツが戻ってこれないように、こっちから地獄に行ってやる。

1628年、長男誕生。
1630年ごろ町の廷臣になる。
1633年、次男誕生。この年「政治家の肖像」をリシュリュー公爵司教に捧げた。
1636年、サハールに小さな礼拝堂を建てる権利を受ける。
1638年、後のルイ14世が誕生した時、オーストリアのアンヌ・ドートリッシュが銀のマリア像を礼拝堂に献上し、マルブフは翌年出版された「頌歌」を送った。アンヌはこの詩集を読み親しみ、秘書にお礼の手紙を送るよう指示した。
1645年8月17日埋葬される。


🍘日本におけるフランス 4詩人の受容

一般書としては「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」(著者: ウンベルト・エーコ、 ジャン=クロード・カリエール)で、カリエールが敬愛する詩人として、まとめて言及されている。ニコラ・ボアロー=デプレオーら古典主義者と、ジャンセニズムに葬り去られたらしい。元来古典主義的な抑制の国であるフランスでは、独立的なバロックを侮蔑の対象として文学史から除けてるそう。


ジャンバッティスタ・マリーノ(1569-1625)

大セネカからクインティリアヌスを経て現代に至るまで、オウィディウスの詩の斬新、構造的実験、文体の乱れを強調した一連の読み物は、確かにマリーノへと帰する事ができる。数世紀にわたり続くオウィディウスを範とした古典主義の最重要ポイントの1 つと言える。

マリーノの家系はカラブリアの出身で、貴族でも労働者階級でもなかった。ジョバンニ・バッティスタは7 人兄弟の1 人で、母の名は不明(1600年以前に亡くなったことだけが分かっている)。父のジョバンニ・フランチェスコは弁護士だった。受けた教育も人文的ではない(彼はギリシャ語を知らなかった) が、少年時代のかなり早くから詩作を始めたという。その後パトロンの衰勢や商売敵との論争、異端審問に左右され、ローマ、ラヴェナ、トリノを経て「成功した逃亡者」としてパリに住み、晩年はより高貴な生活を求めてナポリに戻った。1602年「中世のロンドン」ヴェネツィアで初詩集「ライム」を刊行。1623年の長編叙事詩「アドニス」が最も有名。添削者の無知に作品を歪められる事が多く、その死まで「アドニス」の検閲に反抗し続けた。
直線でない不確かさや疑問の多い人生である。眠っているキューピッドの様々な彫像から、レリーフ、メダルの絵柄まで扱った「ガレリア」に象徴されるように、具象芸術、特に絵画との関係が濃かった。 ナポリとトリノで3回刑務所に入った(1回目は裕福な商人の娘の堕胎を手助けした、2回目は友の性的過失を救うため司教の印を偽造、3回目はサヴォイ公爵の猫背を揶揄した「ラ・ゴブベイド」←ハンチバックの意、という風刺詩を書いた)
マリーノは、後にセチェンティスモ(17世紀)またはマリニスモ(19世紀)として知られるマリニズム派の創設者と考えられている。諸国に崇拝者がいて模倣された。 ♣️詳細♣️
当代随一の多作で物議を醸す詩人であり、人気のあった頃は、バロックの基準点であり続けた(ヴァチカン市国にもコピーが現存する) が、18~19世紀にバロックは「醜い悪徳」の典型とみなされ、国語教育のブラックホールとして授業では卑下され軽蔑された。しかし20世紀後半に、イタリアが新古典主義の泥沼から脱し始めると「彼の詩は単なる驚きの探求ではなく、矛盾する世界観の中での揺らぎ、哲学的要素を多く含む」と復興され、現在再評価されつつある。テクストはベネデット・クローチェとカルロ・カルカテラによって綿密に読まれたのちに、ジョヴァンニ・ポッツィ、マルツィアーノ・グリエ・ルミネッティ、マルツィオ・ピエリ、アレッサンド・ロマルティーニ、マリー・フランス・トリスタンを含む多数の重要な紹介者がおり、現在進行形で「決定的資料」が次々と出てきている。


【蛇足】固有名詞は以下も参照。

thry.hatenablog.com

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*1:秋茄子は嫁に食わすな、の語源は夫木和歌抄という説がある。狸の腹鼓も夫木和歌抄

*2:https://www.keio-up.co.jp/kup/gift/surin.html

*3:デカルトからJ.L.マリオンまで、フランスは哲学と神学の関係が深い

*4:分かった範囲で内容をひとくさり──ルイ13世の初期治世に作られた婚礼コースの詩。マルブフはその叙情的な詩才を存分に振るっており、オリュンポスの神々や女神たちが活躍し、この王子を賛美する歌の幸福な結末に介入して力を貸す。特に孔雀を乗せた "エビーヌの馬車" でユーノーがパリ上空を飛行する場面が素晴らしいそう。【背景】アンリ4世とマリー・ド・メディシスの娘であるクリスティーヌ・ド・フランスは、徴兵されたガストンに次いで、王室の子供たちの中で最も恵まれなかったが、彼女は、1619年2月10日にサヴォワ公ヴィクトル=アメーデⅠ 世と結婚することで「満足」するほかなかった。その後1637年に未亡人となったサヴォワ公爵夫人は、義理の兄弟たちの行動にもかかわらず、1634年に生まれた息子シャルル=エマニュエルⅡ世の摂政権を維持した。

ジュリオ・チェザレ・コルテーゼ

(拙訳)

パロディ英雄神話: ヴァイアス

レンツァは遂に女の子の赤ん坊を生んだ。
亭主は待った、猛烈に待った
(中略)
とうとう女の子は無事に生まれた:
助産師が取り出した赤ん坊は大きかった、
風を一杯に詰めた空気袋に見えた:
生まれたとたん、おおきなウンチをした。
喜びと歓喜に満ち、ドミニクは言った:
「パパが抱いてあげよう、モーモーの娘さん:
一番美しい跡継ぎがほしければ、
女の子が最善に決まっている。」
助産婦は言った「おまえさん、あたしがこの子を
床に置いて、おまえさんが彼女を抱き上げるのが習いだ:
だがその前に、あたしがこの子の世話をする、
このあったかな脂肪の塊が、風邪をひいてしまわないようにね。」
そして、へその緒をくくる、紐を手にした、
この子に寿命を与えるために、小さなはさみで、
必然のあった結び目を、臍に沿って切ると、
臍の緒は外れた。
血が傷口から迸り、
顔は血の気づいた、この女の子こそ、
世界いちバラ色の赤ちゃんに違いない:
こうして親は、赤みがかった頬っぺたを目にする。
そして助産師は赤ん坊をベッドで伸びをさせ、
腕と脚と腿をまっすぐにした;
そして舌の裏から切ってあった細い糸を出して、
シナモンと砂糖を乗せた。
そして腿の間の小さい穴に
塩を撒いてこう呟いた:
「かわいい赤子よ、お受け取りなさい:
将来ハズさんと寄りそうとき、より魅力的になるように、」
ここまで来て、助産師は赤ん坊を特別に喜んだ、
ちっちゃな鼻の形を整えると、
帯とベッドカバーで束ねて
乳鉢を巧く整えてきた。
そして、擂り潰したハナハッカとダイオウ、
ショウノウ、ミントとヘンルーダ
その他の私もよく知らない苦いハーブを
赤ん坊が口から摂るために用意した、
亭主に言った「この可愛い子が大切なら
あたしが用意したジュースを飲ませること、
そうすれば腹を下すことなく、
最も可憐な花を実らせるだろうよ。」
助産師は赤子を床に置き「さあ、おまえさん
この子を持ち上げな、最高に楽しげに、
祝福を与え、優しい顔にキスしてやる時だ、
そして他の人々も集うのを見せるがいい。」
亭主はその通りにした、沸き上がる喜びから
顔を真っ赤にして:親類に
赤ん坊を片っ端から披露、
赤ん坊は行ったり来たり、跳び跳ねボールのよう。

アンドレア・ペルッチ②(承前)

町の門は閉ざされていたが、
神々は透明人間であるかのように入り込んだ。
彼らが物乞いをして回ると
苦痛の呻きと嘆声が聞かれた。
「見ろよ、なんてムカつくルン○ンだ」
が、最初に受けた反応。
パンを恵んでもらおうにも、
このならず者どもは DOG を GOD にけしかける始末。
ユピテルはバッカスに「最初の共同作業といこう」
といい、広場で不満をぶちまけた。
「この乞食めに哀れみをかけてくださらんのですか?」
だが人々の返事は:「このキ○○イを追い出せ!」
そしてみんなが神々をぶちのめしに出てきた、
つまり食べ物を望んだら、拳が飛び出したのだ;
バッカスの腹めがけて石を投げたものがいた、
バッカスはそれをかわした。
ユピテルは1人の女性に慈悲を乞うた
空腹だからといって、そしたら一言:
「待ってて、今出すから;」だからユピテルは
近寄った、だが彼女はその手の変わりに
壊れた大理石の石すり鉢を投げつけた:
死するのもではないユピテル、あわてて
逃げたりはしなかった、石すり鉢で
死する御鉢ではなかったから。
その間にバッカス、素敵な歯を持つ神は
果物屋に施しを乞うた。
こんな言葉が飛んできた:「このNTR(寝取られ)顔、
よそへゆけ、このNTR(ノータリン)!
だが困窮せし、吾らのバッカスは去らない。
「まだ居やがるのか」店主は言い、
分胴を分投げた、とっても重かったので
バッカスに傷をつけるところだった。
バッカスは見透した、この果実商は盗品屋で、
何千通りもの手練手管で盗んでいるのだと。
このろくでなしは、法に背いて
いかさまの秤と分胴で商売している。
こいつらはパイント(半クォート)を 1 クォートといい、
パンは定められた重さに足りない、
犬にさえやらないような真っ黒なパン。
肉屋は仔牛の肉と称して、
固い雌牛の肉を売る。
死んだ猫を、羊肉に仕立てて流通させる:
薬剤師はうそをついて、胡椒を
シナモンと称している:「実を言うとな」
ユピテルがつぶやいた「もしわしが
この醜い町を海に沈めるのは少々やりすぎでも、
オイル(賄賂)とチーズ(金)については話すらしたくないな:
それでいて、ほしいものを売っている。
薬草医の銭の巻き上げ方は
語りたくない。
鳥肉屋のインチキについて付け加えるなら、
誰も想像すらしないトリックを身に着けている:
卵から鶏肉を取り出す:
だが卵の中にはヒヨコが入っているもんだ!
魚屋は荒くれ者に間違いない、
饐えた魚や腐った貝、
錆びたツナ缶を堂々と売ってるんだからな。
奴らの納税ぶりは口にしたくもない、
永遠に寄生虫の太った蚤ども、
守銭奴であまりにも盗みまくるので
ごく少数だけがあっという間に流通する:
だがすべての欠点もめぐってゆく
そして盗人猛々しい柑橘売り!
売るもの全てがインチキのチャンス!
この賄賂の中でペテンも扱う、
汚濁と人間のくず;もし誰かが運の悪いことに、
ブラッド・プディングを買いたくなったら
(おっ、カモが来やがった!しめしめ)
出されるのは固めた雄牛の血、
地元の食堂で中毒になり、命を失う。*1
服をあつらえる仕立て屋を求めて、
ハナから詐欺にぶつかりながら進む。
仕舞には染みだらけの帽子を被せられ
ベルトは結び目の瘤だ。
編み物は見事に、眩暈のする出来;
好みを度外視した、蜘蛛の巣そのもの:
仕立て屋はだまし、惑わし、目眩ませ、
店にあるくしゃくしゃの品物を掴ませる」
ユピテルは商人に尋ねたかった、
その男は何かの素材を熱心に測っていた、
慈悲をくれるかどうか訊こうとした…が
ただの悪党で、すぐに百倍もの呪詛を送ってきた。
ユピテルはうろついていた間に、気づいた
何フィートもの布が盗品であることに。
ユピテルは中空の物差しで測り、
商人は紙一重で神の加護を失ったという事だ。
神々は立ち去った、そして彼らは神であるが故に
物事の正確な本質を見通していた。
この世界に彼らの眼を逃れられる
計略など、行いようがないのだ。
ユピテルは言った:「わしの考え、正しいのかな?」
バッカスは応えた:「分かってるでしょう、正しいですよ」
あの町の靴職人を見てみればいい。並べられた靴が
どれだけ多くの卑怯な手の賜物か分かるだろう。

*1:ブラッド・プディングは豚の血と脂身で作る